末次 智 SUETSUGU Satoshi
- 専門分野
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琉球国文化 / 言語文化(うた)
- 所属
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- 国際文化学部 人文学科 共通教員
経歴・業績
立命館大学大学院文学研究科日本文学専攻博士後期課程単位取得。奄美・沖縄の文化、とくに琉球王国のうた文化、そこから始まり、一般的なうた文化そのものへも研究の手を広げている。2012年、沖縄文化協会賞仲原善忠賞、日本歌謡学会第30回志田延義賞受賞。著書に『琉球の王権と神話』『琉球宮廷歌謡論』『世礼国男と沖縄学の時代』、論文に「Cocco論序説、あるいは、ウタの始まり」「身体の楽譜」「ボーカロイド歌考」「歌の発生覚え書き」など。最近はとくに、ヒト以前のうた的な表現に関心がある。
メッセージ
このHPを見ているみなさんは、「人文学科」で学ぶことの意義について考えたことがあるでしょうか。実は、日本の大学を統括する文部科学省が2015年に国立大学に「教員養成系や人文社会科学系学部・大学院の組織の廃止」を通知して以降、大学を中心に「人文学」の存在意義についての議論がなされています。これを研究対象とする学科に所属する者として、私個人の意見をここに簡単に記しておきます。書物を通して私が敬愛する社会学者の大澤真幸氏は、次のように書いています。「人が知ろうとしているもの、人の探究の最終的な目標、あらゆる学問の蓄積が最終的にそこに向かって収斂していく場所、それは何か?自分自身である。」(『動物的/人間的』弘文堂、2012)そうなのです。私は〈うた〉を研究していますが、これは「うたを歌い、聞く自分とは何か?」という問いにつながっているのです。これへの答えは、「ヒトはなぜ歌うのか?」という問いから導かれます。「とするならば、人間の知を規定している究極の問いとは〈人間とは何か?〉にほかなるまい。」(同前書)たとえば、ネットから流れてくる一つのうたを見聞きするさいにも、この「究極の問い」が私の頭から離れません。それは、自分という存在への問いからくるものです。自分自身とはなにものか。これを知るために、研究し続けているのだと思っています。このような私の考えについて、みなさんはどのように考えますか?ぜひ、お目にかかってお聞きしてみたいと思っています。