読み物

コラム「疫神、病魔の日本文芸史」-人文学部教員 堤邦彦

新型コロナウィルスの感染が急速に世界中で拡大しており、不安な気持ちで過ごされている方も多いと思います。

古来から、疫病は人々を苦しめ、恐怖を与える存在でした。
そのような、人のこころの「恐怖心」から、生み出されたものが「妖怪」や「鬼」の伝承です。
むかしの日本の人々は、恐怖の対象を生き物として想像し、時には恐れ、崇めてきました。

人文学部文学専攻教員の堤 邦彦は、そのような怪談や妖怪の物語から、日本の社会や文化の変遷を見つめる研究者です。
疫病や病魔という存在が、日本の文化にどのような影響を与えてきたか、教員によるコラム形式でご紹介します。

※ 人文学部は2021年度に学部改組を行い、国際文化学部 人文学科となります(設置構想中)。

疫神、病魔の日本文芸史

堤邦彦(人文学部 文学専攻 教員)

疫神封じの風景

全国の神社仏閣にコロナ終息を願う祈りの風景が点在する昨今である。疫神信仰で名高い京都八坂神社に無病息災を祈願する「茅の輪くぐり」が設けられ、見えない敵と戦う人びとの心を勇気付ける。
鳥取県境港市の水木しげるロ-ドでは、妖怪神社の絵馬にコロナ封じの願い事がつづられていた。病魔を打ち負かす正義の妖怪たち—。鬼をもって鬼を封ずる民間信仰は21世紀の現代も輝きを失っていない。

鬼出没ははやり病の前兆

人類のコントロ-ル下にない病への怖れは、時として根も葉もないデマやパニックをひき起こす。疫病の蔓延によって改元せざるをえなくなった応長(1311~)のころの京都に「女の鬼になりたる」ものが現れて都びとを震えあがらせた異聞が古典文学の名作『徒然草』の50段にみえる。二十日ほどのあいだ、鬼を探し回る群衆で騒然となった様子を作者の兼好はリアルに描いている。
「いましがた、どこそこに現れた」などと立ち騒ぐわりには、確たる目撃者がいるわけでもない。それでいて虚言と決めつける声もなく、平安京が鬼のうわさ一色になっていく。二条に出たぞと叫びながら北を目指すやじ馬で都大路があふれかえり、果ては喧嘩まで起こるそれはひどい状況だった。
同じころ、風邪のような症状の病が流行り、老若男女が大いに悩まされた。鬼の風説は悪疫の前兆であったかといぶかる声があったことを、兼好は末尾にしるしている。妖怪出没の流言と見えない病魔に対する不安がたがいに共鳴しあう姿を700年前の古典は今に伝えている。

希望と勇気のうた

もっとも前近代の人びとは、なす術がない病魔にひれ伏すばかりではなかった。
江戸中期の俳人・与謝蕪村は、河童の恋や狐火といった怪奇趣味の幻想句を得意とした。異界を描いたそれらの句のなかに都に仇なす疫紳を撃退する勝利のうたがみられることは、コロナに翻弄される現在の私たちを勇気付ける。

 行く春や 横河へのぼる 痘(いも)の神

春のあいだ大流行していた痘瘡(天然痘)もやっとおさまった。これこそ比叡山の元三大師のお札のおかげに違いない。いまごろ疫神どもは横川の元三大師堂に呼びつけられて懲らしめられているだろう、という意味の句だ。平安のむかしから人口密集地の京都はたびたび感染症におそわれた。そこで病魔封じに効能のある横川のお札が珍重されたのである。
平安時代の高僧・良源(元三大師)は悪疫に倒れて命危うくなるが、みずからの法力によって疫神を退け、さらに鏡に映った骨と皮ばかりの病み上がりの姿を絵に写させて魔よけの呪符にしたという。角のある怖ろしげな絵柄から俗に「角大師」と呼ばれている。この呪符を戸口に貼れば、はやり病はもとよりあらゆる災いを免れるのだ。
八坂の茅の輪や妖怪神社の呪的な効き目は私たちに一筋の希望の光を与えてくれる。病魔に負けない知恵と勇気を信じて明日に進もう。

人文学部 文学専攻 教員 堤邦彦

経歴・業績
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了(文学博士)。世の中の役に立たない(と見做されてきた)怪談研究をライフワークとする。『江戸の高僧伝説』、『怪異学の技法』(共著)、『女人蛇体—偏愛の江戸怪談史』、『現代語で読む江戸怪談傑作選』など。2015年より怪談朗読団体・百物語の館の元締として公演活動中。

担当科目:「説話・伝承史」「日本近世文学講読」 など


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