アセンブリーアワー講演会は、京都精華大学の開学した1968年から行われている公開トークイベントで、これまで54年間続けてきました。分野を問わず、時代に残る活動や世界に感動を与える表現をしている人をゲストに迎えています。
2022年6月23日(木)は、アーティスト・潘逸舟氏が講演。潘氏は「日産アートアワード2020」にてグランプリを受賞した新進気鋭の現代美術家で、これまでに水戸芸術館や東京都現代美術館、ボストン美術館(米国)、上海当代美術館(中国)など国内外で展示をおこない、2022年7月30日開幕の国際芸術祭「あいち2022」にも出展。いま最も注目を集めるアーティストのひとりです。
さらに潘氏は、京都精華大学の「ギャラリーTerra-S(テラス)」のリニューアル記念展「越境─収蔵作品とゲストアーティストがひらく視座」(2022年6月17日〜7月23日)にも出品。今回の講演会は、同記念展の関連イベントとして開催されました。
上海に生まれ幼少期に青森に移住した経験を持つ潘氏は、社会と個の関係の中で生じる疑問や戸惑いを、自らの身体や身の回りの日用品を用いて表現してきました。本講演にあたって潘氏は「人間はなぜ表現を始めるのか、それを異文化の中で居場所を見つけるという視点から考えてみたい」とし、講演のテーマを「表現と居場所」としましたが、講演ではインスタレーションという表現方法に出会った高校時代の作品から現在にいたるまで、表現活動の軌跡をアーティスト本人とともに辿るという、またとない機会となりました。
※本イベントは、学生・教職員のみ学内会場で聴講可とし、学外・一般の方にはオンラインで公開。司会進行は「ギャラリーTerra-S」キュレーターで本学教員の伊藤まゆみが務めました。
「表現と居場所(ゲスト:潘逸舟)」講演会レポート
潘さんは中国・上海で生まれ、幼少期に青森に移住するというバックグラウンドを出発点にし、社会と個の関係の中で生じる疑問や戸惑い、アイデンティティの揺らぎをテーマとした作品を制作。映像、インスタレーション、写真、絵画など多様なメディアを駆使しながら、真摯に、時にユーモアをも交えながら表現してきました。
「ギャラリーTerra-S」に出品された映像作品《呼吸—蘇州号》(2013年)も、そうした潘さんならではのテーマが表現された作品のひとつ。この作品では潘さんの身体と同じ重さの石が用いられ、横たわる潘さんの身体の上に乗せられた石が呼吸に合わせてかすかに動くさまや、神戸─上海間を運航するフェリーの甲板に乗せられた石の様子が収められています。
このフェリーには、神戸からはバックパッカーたちが乗り込み、一方、上海からは、昔は出稼ぎに来る人たちがよく利用し、人々は食料として大量の米を持ち寄り、一緒に運んでいたといいます。「そういう船に乗って、自分と同じ重さの石も帰っていく。自分の身体を石に置き換え、どこかに戻ってゆく・旅をしてゆくというのが、この作品です」(潘さん)。
このフェリーには、神戸からはバックパッカーたちが乗り込み、一方、上海からは、昔は出稼ぎに来る人たちがよく利用し、人々は食料として大量の米を持ち寄り、一緒に運んでいたといいます。「そういう船に乗って、自分と同じ重さの石も帰っていく。自分の身体を石に置き換え、どこかに戻ってゆく・旅をしてゆくというのが、この作品です」(潘さん)。
また、《人間が領土になるとき》(2016年)は、過去に日本と朝鮮半島の交流をつないできた対馬の海に、潘さんが身体を横たわらせる作品。潮が引いて陸が見えているときに寝そべり、だんだんと潮が満ちて身体に水が覆いかかっていく様子を写し取ったもので、まるでその身体は広い海に浮かぶ陸、島のようにも見えます。
「自分が、ある風景のなかでどうやって存在しているのか、いま生きている社会のなかでどう生きているのか。私にとって、ある意味で風景というものは社会のキャンバスのようでもあります。そこで自分はどうやってメディウムとして存在していくのか。そういうことを、ずっと作品にしています」(潘さん)
このように、作品の紹介を軸にして、そのテーマや自身の経験、当時考えていたことなどを語ってくれた潘さん。なかでもとくに印象的だった作品が、《My star》(2005年)。青森のゲートボール場である野原に、キャンバスやタオル、教科書、衣服といった身の回りの日用品を置いて星の輪郭をつくり、その中心に裸の潘さんが横たわる作品で、「シンボリックな意味を持つ星を、何かの象徴ではなく、自分だけのシンボル、象徴を自分の肉体や身体に置き換えようと考えた」そうです。
この作品、じつは潘さんが17歳のときに制作した、「いちばん最初のパフォーマンス作品」。当時、青森の高校生だった潘さんは、上海で起こっていた反日デモなどの政治的な問題をテレビの報道を通して見ていたといいます。自分と同じようなバックグラウンドを持つ人がいない青森というのどかな場所で、自身のルーツやアイデンティティを揺さぶるニュースを目にする──。そのなかで「自分のなかに溜まっていく何か」が、このパフォーマンスの源泉となったと潘さんは語ります。
しかし、ここで潘さんは「これは恥ずかしいんですけど」と笑いながら、3枚の絵をスクリーンに映してくれました。それは、潘さんが中学・高校のときに描いた絵。画家になりたかったお父さんの影響を受けて絵を描き始め、当時は「画家になりたいな、芸大に行きたいな」と考えていたそうですが、そのころ大きな転機が訪れます。青森市に「国際芸術センター青森」が開館し、そこで彫刻的なインスタレーションで知られるアニアス・ワイルダーや、世界的なパフォーマンスアーティストであるマリーナ・アブラモヴィッチといった現代美術家たちの作品に出会ったのです。
「世界で活躍しているアーティストがやってきて、直接会って話をしたりしているときに、“ここにいる自分”というのと、“ここではないどこかにいる自分”ということを想像していました。想像するという行為は、ここではない場所に出ることでもありますよね。その想像力が、表現することのエネルギーにも繋がった」
「青森という場所にいながら、どこかで自分と世界の距離感であるとか、自分にとって世界というものが何であるのかを、ずっと把握しようとしていました。その世界が何なのかはわからないけれど、そういうエネルギーはずっと持っているなと思っていて」(潘さん)
そこからは「ずっとハイな状態で」、精力的にパフォーマンスやインスタレーション作品をつくり続けた高校生の潘さん。ただ、いろんな作品を制作しながらも、発表はあまりしなかったといいます。その理由は、つくる時間、つくるものについて考えている時間が当時は誰かに見せること以上に大切で、「“つくる”ということ自体が居場所のような感じだった」と潘さんは振り返ります。
「はっきりと『これは何か』ということをわかってつくっていたかと言うと、必ずしもそうではなくて、わからないままつくっている作品がたくさんありました。でも、わからないまま何かをつくってしまうというのは、たぶん身体がずっとどこかで考え続けていることでもある。表現というのは全部わかってつくるものでもないし、ずっとわからないままでいいというわけでもないんだけれども、基本的に何かをつくるというのは、自分のなかにある『わからなさ』というものと向き合っていく時間でもあります。わからないものをずっとわからないまま維持すること、維持した先に自分の表現を獲得できたり、何かを発見したときの感覚は、すごく大事だと思っています」(潘さん)
つくることは「わからないこと」を考え続ける行為。わかりやすさに飛びつかず、わからないことがかたちとして表れるまで待ち続ける時間も大切──。時として、自分が表現したい/したものについて、そこに込めた想いを言語化できずもやもやしてしまうというのは、よくあるものです。日々ひとりの表現者として制作に打ち込む精華大の学生たちにとっては、なおさらです。だからこそ、わからなさと向き合うことの大切さを教えてくれる潘さんのこの言葉は、多くの人に響いたのではないでしょうか。
最後に「理想としては、生きていくということと表現していくことが同時に進行していくような表現者になりたい。誰かに見せるわけでもなく作品をつくっていた、あのエネルギーをずっと忘れないで、作品をつくっていきたいです」と語ってくださった潘さん。高校時代の“原点”から今日に至るまでの潘さんの軌跡をじっくりと知ることができる、とても意味深い時間となりました。
潘逸舟さん、このたびは貴重なご講演をありがとうございました。
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