岸田繁、京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教員に就任。

聴き耳の立て方、教えます。

2016年4月から新たに京都精華大学ポピュラーカルチャー学部に、客員教員として就任された岸田繁さん。京都出身で、長きにわたり音楽業界の第一線で活躍されてきた岸田さんが、いま学生や若者に伝えたいこと、京都という街と音楽のかかわり、音楽を学ぶうえで必要なこと、これからの音楽業界の展望など、さまざまなテーマについて語ってくれました。

精華大学の客員教員就任について

若い世代に文化を継承していくバトンがそろそろ自分にもまわってきたのかな。

—このたび精華大学ポピュラーカルチャー学部の客員教員を引き受けられた経緯や理由についてお聞かせください。

岸田 それはもちろん京都精華大学さんからお話をいただいたからです(笑)。というのは冗談ですけど、くるりというバンドがスタートして今年でちょうど20年。ハタチではじめていま40歳になるということで、自分の音楽人生の折り返しとでもいいますか、自分にとって節目の年だということもありました。また、これは音楽業界にかかわらずいろんな場所で「失われていく技術や文化を後世に伝えていきたい」という話を耳にするようになったんです。若いころは正直、そういうのって「ウザいなあ」と思っていたんですけど(笑)、最近は、いよいよ自分の番が回ってきたのかなと感じるようになってきた。いままで経験してきたことを自分なりに伝えていきたいという意識が、ちょうど芽生えてきたタイミングでもあったんですよね。あと、やっぱりいちばん大きかったのは、音楽や芸術・文化、しかもポピュラーカルチャーという分野に特化した学部からお誘いをいただいたという点です。そこで学ぼうとしている学生さんたちのお手伝いができるっていうことは、たいへん光栄なことですし、すすんでやっていきたいなと思ったんです。


—最近になって考え方が変わってきたということですか?

岸田 そうですね。やっぱりぼくら音楽業界にいる人間も、後進の育成についての責任はあるのかな、という思いが出てきています。もちろん単純に、いい人材が多い方が業界全体が楽しくなるということもありますし、それに普段から若い人たちのアイデアにはアッ!と驚かされることが多いんです。先日も親しくさせていただいている京都精華大学の教員の方から、ある学生が「自分の地元、福知山のスーパーマーケットの音楽環境を良くしたい」と言っているという話をうかがいました。ぼくはポピュラーカルチャーという名前のついた学部を選んだ学生はみんな、ミュージシャンになりたいんだと勝手に思い込んでいたんです。先生方も、現役のミュージシャンが数多くいらっしゃいますし。でも「ああ、そういうことを考えている学生さんがいるのか」と思って、ちょっと感動したんですよ。正直に言ってしまうとプロのミュージシャンとして生活していくにはかなりの覚悟と練習量と、そしてやっぱり才能がどうしても必要です。厳しい世界ですから、ほとんどの子に「なれません」という話をしないといけない。だけど、こういう発想の子がいるんだったら、それに対してはなにかヒントをあげられるんじゃないかなっていう思いがあります。

—もう少し具体的に言うと?

岸田 たとえばさっきのスーパーマーケットの例でいうと、それを専門の仕事にできたとしたら、これはいままでにない音楽にかかわる仕事をその学生が生み出したともいえるわけですよね?「名前をつける」とでもいいますか、それまでも存在はしていたのにスポットライトが当たってこなかった分野を見つけだしてきて、事業なり音楽のジャンルなりとして確立していく。これからの時代ってそういう人がどんどん出てきて、どんどん新しいビジネスやカルチャーを生み出していくんじゃないかなと思うんです。そこはぼくもワクワクしますし、それをお手伝いできるんだったらぜひやらせてほしいという思いがすごくありました。


—どんな授業をやってみたいというようなアイデアはすでにありますか?
 
岸田 じつはお話をいただいてからいろいろ考えてきたんですけど、最初はこれまでにアセンブリーアワーのゲストとして京都精華大学で3回ほど講義させていただいたときにやったような、作曲や編曲、あるいはワークショップ的なものなど、いわゆる音楽の専門学校でやるようなタイプの講義をしようかなと思っていました。もちろんそういう講義もするかもしれないですけど、いまはむしろ「音楽の聴き方」とか「耳の肥やし方」というようなことを中心に進めていこうと考えています。さっきの福知山のスーパーマーケットの音楽の話でいえば、スーパーマーケットで、ハイスペックな音響装置をつかって高音質のBGMを鳴らすことと、買い物をする環境としての快適さってじつは違うんじゃないか?とか、超有名なヒットソングを流したからといって、商品が売れるわけではないのでは?といったことを考えてみたいと思っています。だから1回目の講義では、ラーメン屋さんと喫茶店でのBGMの違い、仲間とワイワイしているときと、恋人と2人でいるときで聴きたい音楽はどう違うのかなど、場所やシチュエーションによってどういう音楽をどういう風に聴くのがベストなのか?といった観点から、学生さんと一緒に話しながら「音楽を聴く」という行為を深く掘り下げていけたらなと考えています。

音楽を学ぶ環境としての精華大学について

佐久間正英さんの遺したスタジオで学生と一緒に「音」を問い続けていきたい。

—音楽を学ぶ環境としての京都という街についてはいかがですか?

岸田 いまちょうど京都に文化庁が移転するという話がありますよね。以前からずっと、京都が文化と芸術を学ぶのにいい街だっていわれていました。その理由は、もちろん大学がたくさんあるとか街のサイズがちょうどいいとか、いろいろあるとは思うんですけど、「職住一体」の街づくりがなされてきたというのがいちばん大きいんじゃないかな。いまは減っているとは思いますが、清水焼や西陣織の工房と職人さんの自宅は町家で一体になっています。また三条通や麩屋町あたりというのはオシャレなカフェやショップと古い旅館や民家が共存していたり、京都国際マンガミュージアムが、歴史都市のど真ん中にドンとあったりします。「職場と住居」「新しいものと古いもの」「伝統とサブカル」といったものが手の届く範囲にぜんぶ渾然一体となっているというのは、文化や芸術を俯瞰するにはすごくいい環境だなあと思うんです。あとまあこれはちょっと突飛な話ですけど、京都は稜線の急な山に三方を囲まれた盆地で、しかも高層ビルが少ないですから構造的に音が「溜まる」んです。たとえば車の音や雑踏のノイズの反射が街自体に吸収されている感じがします。実際、かつて京都に住んでおられて、5年前に亡くなられたレイ・ハラカミさんの音源のひとつに、ミニバイクが「パパパパパパ」って走っていく音が入っていたんですけど、それを聴いてぼくはすぐに、京都の音だとわかったんですよ。もちろんそれは自分が育った街だからよけいにわかるんだろうと思うんですけど、やっぱり京都に帰ってきて感じるのは、京都駅で新幹線から降りた途端に音の聴こえ方がぜんぜん違うということ。他の街でも、音の聴こえ方はそれぞれ違いますし、やっぱり地形でその街のノイズが違って聴こえるということはあるんですよ。こういうことも「音の聴き方」とか「耳の肥やし方」という学びにつながる話ではないかなと思いますね。それに京都は街と自然が近い。街を流れている鴨川の水がきれいっていうのは重要です。自然が近いということは音もきれいですし。それだけナチュラルな音が近くにあるということですから。
 


—京都精華大学は近年、Homecomingsや中村佳穂といった注目アーティストを輩出しています。音楽を発信する場所としての京都精華大学についてどんな印象をおもちですか?

岸田 やっぱりぼくは、生前いろいろとお世話になった佐久間正英さんがかかわっていた「Magi Sound Studio」が象徴的な場所だと思うんですよね。あのスタジオの使い方にはすごく興味があるし、うまく使われてほしいと思っています。じつは、ぼくがいつも一緒に仕事をしているエンジニアも連れてきたことがあって、彼らともこのスタジオについていろいろと話をしたんです。そのなかで、学校で音楽を教えるために、このくらいの予算でこういうスタジオをつくって、こういう機材を備える、という明確な目的をもって、佐久間さんはあのスタジオをつくったはずなんですけど、通常だとこのあたりの機材を入れるはず……という定番のものより安価な機材が採用されていたり、あるいはその逆で、なぜここにこんなにお金をかけたんだろう?と思うものもあったりしたんですね。それは卓の選び方ひとつにしてもそうでした。とりわけいちばん印象的だったのが「前室」っていうメインルームに入る前の場所の音がすごく良かったこと。たとえば前室にドラムを置くとか、あるいはメインの部屋にドラムを置いて、前室のところにいわゆるアンビエントというかルームマイクを立てたらどうかとか、いろいろ発見があって、エンジニアとすごく話が盛り上がったんです。残念ながら佐久間さんが亡くなられてしまったので正解を聞くことはできないんですけど、パッと見てわかるところも多くあったので、すごく興味深かった。だからいま、東京で活躍している一流のエンジニアをどんどん連れて来て、彼らと学生たちをつなぐか、一流の仕事ぶりを見てもらいながら音をどう録るのか、どう録れば音楽的に成立するのかといったことを一緒に研究したりできると楽しいんじゃないかなと思っています。なによりスタジオには音楽がパッと生まれる瞬間があるので、せっかく学校にいいスタジオがあるんだったら、その瞬間を学生さんにも感じてもらえたらなと思います。

音楽業界の未来について

じつはまだ名前のつけられていない未開拓のフィールドが広がっている。

—いまの京都精華大学の学生たち、あるいは若者全般についての印象をお聞かせください。

岸田 6年前まで「みやこ音楽祭」というイベントを学生ボランティアと一緒にやっていました。それ以来、学生さんとかかわる機会は、京都精華大学のアセンブリーアワーくらいしかなかったんですけど、個人的にはいまの学生とぼくらのころの学生がそんなに違っているとは思っていません。ただ、むかしと違うのはいまの学生はみんなマジメに授業に出るようになっているなとは感じますね。ぼくはもうぜんぜん授業には出てなかったですから。一方で、当時はきちんと就職していい会社に入らないといけないとか、みんながこうやっているから自分もそうしないといけないというようなムードが強かった時代でした。でもいまは変わってきているのかなと感じます。たとえば昨日、現役の京大生がやっている「本日休演」というバンドの子たちと一緒に仕事をしてたんです。京大に来てロックバンドをやっている子というのは、きっと京大のなかでは落ちこぼれだったりするのかなと勝手に思っていたんですけど、彼ら「じつは研究したいことがあるから大学院に行きたい」とかサラッと言うんですよね。ぼくらの時代では考えられなくて、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。そういう風に、いまの若い人たちの方がある意味で自由というか、決まりごとに縛られていないという印象はありますね。あとやっぱり、いろんな意味で効率が良くなっていると感じます。インターネットなどの情報メディアをはじめとして、社会のシステムそのものが効率的になっていますから当然といえば当然なんですけど。あらゆることに対して、みんなが効率的で時間をうまく使っている印象があります。

—音楽の聴き方、選び方も変わってきているということですね。

岸田 そうなんです。たとえばぼくらより上の世代の人たち、高野寛さんとかスチャダラパーのBOSEさんは専門店に行ってひとつのジャンルを掘り下げていくっていう考え方の世代だったと思うんです。でもぼくらの世代っていうのはいわゆる「タワーレコード世代」。大型店舗で旧作や名盤がどんどん買えるようになった時代で、当時オアシスの新譜とニック・ドレイクの名盤を同時に買うことがはじめてできた年代だったと思うんです。とはいえ、ぼくらの時代はまだ大型店舗へと足を運ばないといけなかったんですよ。ところがいまの子たちはそれをスマホやケータイで入手できてしまう。どんどん効率化は進み、アルバムで買わずに好きな曲だけチョイスすることだってできてしまいます。それについてはいろんな意見がありますが、ぼくは効率化自体はすごくいいことだと思っているんです。もちろん「昔の商店街が良かった」というような意見はありますけど、現実にいま、イオンモールなどで買い物をする方がずっと楽だからみんなそっちへ流れていっているわけで、ではむかしの商店街はいったい何が良かったのか?何がダメでこうなったのか?といった問いを、音楽産業や音楽のつくり方の変遷などに置き換えて構造を理解してみるような講義をすれば、いまの学生さんには意外とシンプルに理解してもらえたり、音楽を仕事にするという課題に向き合いやすかったりするんじゃないかなということは、ちょっと考えています。
 

—ミュージシャンに限らず「進路」としての音楽、音楽で食べていくということもひとつあるということですよね。

岸田 ええ。ぼくはつねづね音楽を仕事にすることを「進路」として考えることは、プロ野球に置き換えるのがいちばん近いと思っているんです。プロのミュージシャンといわれる人たち、とりわけ名歌手とか名プレイヤーの人たちっていうのはやっぱりアスリートなんです。曲をつくったりバンドの指揮をしている人たちは、捕手だったり投手だったりする。あるいは、ベンチには控えの若手もいればこの道何十年というベテラン選手もいる。一方でプレイヤーだけでゲームはできませんから、コーチングスタッフや監督といったタイプの仕事をする人も必要です。これはいわゆる音楽業界でいうところのマネジメントといわれる部分を担う人たちです。監督はもしかしたらプロデューサーなのかもしれないですよね。要するに、音楽を直接生み出す人だけが必死にがんばっても、それはあくまで音楽業界のなかの一部のことで、やっぱり周辺を含めたいろんな分野がきちんと機能していかないとうまくいきません。これだけ音楽を聴く環境や流通手段などが多様化し、しかも日々変化し続けている時代にあっては、音楽家としての才能そのものよりも、むしろそうした分野でイノベーションを起こせる人というのが、とても重要になってくるのではないかと考えています。ぼくらが独立事務所をつくり、ファンクラブをSNSの「note」に移行したことなどに関しても、とにかく前例が一切ない世界で、誰かを真似することも難しい状況で、いろんなチャレンジをしてきたわけですから。だから逆に言えば音楽産業のなかにはまだまだ開拓されていないフィールドが広がっていて、自分で新しい仕事を生み出して成功するというチャンスが意外と多く残っているのかもしれません。

精華大学で音楽を学ぶ学生に向けて

技術指導でもなく音遊びで終わるのでもなく、純粋に「音学」を追究できる場にしたい。

—岸田さんはご自身の講義にどんな人に来てもらいたいですか?また何を得てもらいたいかなど、学生への期待やメッセージなどありますか?

岸田 先ほども言いましたが、やっぱりほとんどの場合、プロの音楽家になれる人というのはほんのひと握りなわけです。それでもどうしてもなりたい人は、むしろ音大に通って演奏技術を磨くべきだろうし、大学の講義というかたちでぼくから教えられることはあまりないのかなという気がしています。だから本当にバンドで食べていきたい子がいたとしたら、ぼくは「おまえ学校なんか辞めて、肉体労働してお金いっぱい稼いで、いい楽器買って、夜中寝ないで練習しろ!」っていうことに尽きると思います(笑)。なぜかというと、バンドってとにかくお金がかかるし、こういう言い方をすると身も蓋もないんですけど、いい楽器を持ったモン勝ちみたいなところがあるからです。ぼくにしても、18歳とか19歳のころに30万円もするギターをちゃんと買っているんです。それはものすごく大きかった。「ああ、ギターってこういう音がするんだ」という体験をしている。もし当時、安いギターで済ませていたら、もしかしたらバンド演奏というものをそんなに好きにならずに終わっていたかもしれない。つい最近もサンフジンズというバンドを一緒にやっている奥田民生さんに「みんな使っている機材がしょぼすぎるからダメなんだ」ということを言われました。実際に民生さんのスタジオに行くと楽器から機材から、ぜんぶものすごいんですよ。それを見て「すんません!お金貯めます!」と思いました(笑)。「たいした曲なんてなくていいし、たいした演奏力もなくていい。楽器さえよかったら、こんなにいい音が鳴るんだ」というようなことを言われて。もちろんお金がないなかで工夫したり、悪い環境のなかで知恵を絞ったりする方法もぼくはすごく好きなんです。でもやっぱりいい音で鳴らすとか、高い楽器を買って大事にするとか、そういう環境に身を置いてみる経験が、じつはけっこう重要なことなんじゃないかなと思っています。

—そうなると演奏技術や作曲技術ではない部分、先ほどのお話にあった「聴く耳を肥やす」という視点での講義が中心になってくるということですか?

岸田 やっぱり自然とそうなっていくだろうと思っています。まあ個人的には、さっきも言ったようにプロ野球のゲームを見に行って、感覚で身体を動かすこととか、ひとつのフィールドでいろんな役割を与えられているプロフェッショナルの仕事ぶりを見るのがいいと思うんですけどね。ただ、さすがに授業で野球やるわけにもいかないし、「はいグラウンド4周!」とかやっている場合でもないですからね(笑)。やっぱり京都精華大学のポピュラーカルチャー学部というフォーマットのなかで、学生に向けてぼくが教えられることでいえば「音楽の聴き方」というところにいきつくのかなと、いまは思っています。どういう音楽を、どういうシチュエーションで聴けば、どのように感じ方が変わるのか?そこにはどういった音響構造があり、どのような音楽的作用がもたらされているのか?そういうことを学生と話し合ったり、実際に音を鳴らしたり、スタジオで実験したりしながら、研究というと大げさですけど、「音学」していけたらいいなと思います。そしてそれは、たぶんぼく自身がいちばん楽しみにしていることなんじゃないかな。
 

岸田繁(くるり)

1976年生まれ、京都市北区出身。立命館大学の音楽サークル「ロックコミューン」で結成されたバンド、「くるり」のヴォーカルとギターを担当し、ほとんどの作詞・作曲を手がける。1998年にシングル「東京」でメジャーデビュー。以来20年近くにわたって第一線で音楽活躍を続けている。くるりのシングル・アルバムCD制作のほか、映画「まほろ駅前多田便利軒」「まほろ駅前狂想曲」主題歌・劇中音楽の制作、NHKの音楽番組「みんなのうた」への楽曲提供、また2007年から毎年開催されている「京都音楽博覧会」を主催するなど、多岐にわたる活動を展開中。

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