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芸術学部座談会「今、芸術学部が大改革をする理由とは?」

新生・芸術学部、実際のところどうですか?

2017年度、カリキュラムが大幅に変わった芸術学部では、1年生を対象に3つのプログラムがスタートしました。表現するための土台をつくる「体幹教育」。専門基礎科目を自由に選び、多様な技術や表現手段を実践する「メチエ基礎」。それら2つの取り組みの理解を深め、共有していく「基礎ゼミ」。しかし、新年度がスタートして3カ月がたった今、「実際にどんなことがはじまっているのかわからない」なんて声もちらほら。そこで今回、体幹教育のクラスを担当する宮永先生、中村先生、中野先生、そして基礎ゼミを担当する吉岡先生に、5つの質問を投げかけ、新生・芸術学部の現状や気になるところを教えてもらいました。座談会の途中で、思いがけないゲストの参加も。
※「メチエ」とは美術家などがもつ優れた技法のこと

中野裕介(芸術学部 教員/アーティスト)
1976年大阪生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻日本画修了。2003年より、林泰彦と共にアート・ユニット「パラモデル」として活動。得意領域や趣向の異なるパラレルな2人が、互いの視差と関係性を生かし、メタフィジカルな「模型遊び」として多様な形式で作品を制作。10年「パラモデルの世界はプラモデル」(西宮市大谷記念美術館)、11年「世界制作の方法」(国立国際美術館)、13年「パラの模型/ぼくらの空中楼閣」(銀座メゾンエルメス)など出展多数。
教員プロフィール:http://www.kyoto-seika.ac.jp/edu/faculty/nakano-yusuke/

中村裕太(芸術学部 教員/美術家)
1983年東京生まれ。2011年京都精華大学芸術研究科博士後期課程修了。〈民俗と建築にまつわる工芸〉という視点から陶磁器、タイルなどの学術研究と作品制作を行なう。最近の展示に「第20回シドニー・ビエンナーレ」「あいちトリエンナーレ2016」など。工芸をつくり手の視点から読み解き、その制作の方法を探る「APP ARTS STUDIO」も運営している。
教員プロフィール:http://www.kyoto-seika.ac.jp/edu/faculty/nakamura-yuta/

宮永 亮(芸術学部 教員/映像作家/美術家/ViDeOM代表)
1985年北海道生まれ。京都市立芸術大学大学院修了。ビデオカメラでとらえられた実写映像素材のレイヤーを、幾重にも渉りスーパーインポーズする手法を用いて作品制作を行っている。2015年には、映像/デザインプロダクションとして「ViDeOM」名義を立ち上げ、その代表・ビデオグラファー・映像編集者としてよりコマーシャルな領域へも目を向けている。
教員プロフィール:http://www.kyoto-seika.ac.jp/edu/faculty/miyanaga-akira/

吉岡恵美子(芸術学部 教員/キュレーター)
カリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校人文学部修士課程修了。2014年まで金沢21世紀美術館でキュレーターとして勤務。企画した主な展覧会は13年「内臓感覚-遠クテ近イ生ノ声」、15年「知らない都市—INSIDE OUT」、15~16年「本の空間—ざわめきのたび」、16年「亡霊—捉えられない何か」など。新聞雑誌等への展覧会レビュー執筆等、批評活動も行う。
教員プロフィール:http://www.kyoto-seika.ac.jp/edu/faculty/yoshioka-emiko/

5つの質問をしてみました。
Q1. 具体的には、どんなことをしているの?
Q.2 体幹教育とメチエ基礎、何が違うの?
Q.3 どうして今、「基礎」なの?
Q.4 早く専門的なことを学びたい、という人は?
Q.5 新カリキュラム、今のところうまくいっているの?

Q. 具体的には、どんなことをしているの?

—ついにはじまった芸術学部の新カリキュラム。どんな内容で進めているのか教えてください。

中村 体幹教育に関していえば、1学年を4クラスに分けて、各クラスに2人の教員がついて教えています。ぼくを含め、中野先生、宮永先生は別々のクラスを担当しているのですが、カリキュラムは一緒。ただ、どのクラスもそれぞれ独自に工夫して、取り組んでいます。

宮永 1年を「視覚のクリエーション(絵画基礎)」「素材のコンビネーション(工芸基礎)」「対象のトランスレーション(彫刻基礎)」「表現のバリエーション(デザイン基礎)」の4期に分けているのですが、今はその第1期が終わったところ。第1期の「視覚のクリエーション」では、学内にあるさまざまな工房のデッサン、古壁の表現について考える課題などを行いました。

—どんな授業でしたか?

宮永 たとえば「古壁の風合いの表現」をテーマにした課題では、珪藻土(けいそうど)という壁材を使って作品をつくるのですが、まずは古壁に雨が当たったり、擦れたりしている状況をじっくり観察してから、珪藻土を塗った合板の上に表現していきました。

中村 「壁の提案」という課題もあって、同じく珪藻土を使って、それぞれの「理想の部屋の古壁」を考えました。ビー玉を貼りつけたり、迷路を書き込んでタイル状に置いたり、さまざまなアイデアがありましたね。
パレットナイフや、木のヘラを使いながら25cm角の木の板に表現していく。
表面をバーナーで焼いて焦げ目をつけるという大胆な学生も。
宮永 古壁の課題に取り組む前に、大津壁やフレスコ画についてのレクチャーもあって、その後、学生たちと「そもそも、壁とは何か?」を話し合ったんだけど、これがおもしろかった!

中野 僕のクラスも問答をして、「壁の最低条件って何?」と学生が言い出したことをきっかけに、「もたれられること」「90度であること」など、いろんな意見が出ました。今まで、風景を見えた通りに“描写”するための観察を行ってきた学生は多いと思うけれど、ここではもう少し根本に立ち返って考え、柔らかく“発想”するための観察を行ったんですね。担当教員さえ思いもよらない多様なアイデアや考え方、表現が出てきておもしろかったなあ。量子論をもち出してきて、「何百億回も当たれば1回くらい通り抜けられる壁」というアイデアとか(笑)。

宮永 壁に取り組んだ課題の最後には、みんなの制作物を大学内にある水上ステージの階段にずらっと並べて、トークイベントみたいな状況で講評していましたね。
講評の様子。階段には学生がつくったさまざまな「古壁」が並べられた。
—「絵画基礎」という言葉から想像される以上の広がりをもった授業なんですね。

中村 別の課題では教室を飛び出して、街中にも創作の目を向けました。たとえば、大学から京都国際会館まで歩いて、道中にあるいろんなものを「フロッタージュ(凹凸のあるものの上に紙を置き、上から鉛筆などでこすって模様を移す手法)」していく課題もありましたね。
芸術学部の7専攻がもつ、さまざまな工房や機材をデッサンする課題も。構内を歩き回ることで学生同士の交流も生まれる。
— そこにはどんな狙いが?

中村 美術以外の視点をもってほしいんです。民俗学や建築学、生物学など、異なるジャンルのものに関心をもって、いろんな視点でアートや街中をとらえていく。そういった、他分野の情報をどう仕込むかはクラスごとに、先生たちが工夫しています。

中野 授業を進めるにあたって、制作活動にはやっぱり遊び心やユーモアも重要ですし、どうやってそれを出していこうかなと考えながら取り組んでいますね。

吉岡 これまでだと、専門領域・コースに分かれて、それぞれのカリキュラムに沿って進んでいくから、なかなかそこから逸れた遊び心や自由なアイデアが生まれる「余白」が少なかったかなと思います。私は基礎ゼミの1クラスを受けもっているのですが、学生たちから「自分の想像の範疇を超えた表現ができて、おもしろかった」「普段やらないようなことから刺激を受けた」という声が出ています。

宮永 1年生の段階で、「すべて自分の力で表現しないといけない」という固定観念から解放される感覚を知っておくのはすごく重要ですよね。「僕は日本画をやるんだ!」と決めて入学してくる学生であっても、写真スタジオや陶芸の工房を見て、体験してみてほしい。

—そのためにも、7専攻のいろんなプログラムを自由に選択できるメチエ基礎のプログラムがあるんですね。

Q. 体幹教育とメチエ基礎、何が違うの?

—みなさんはこの2つの違いをどのように考えていますか?

宮永 メチエ基礎では表現の違いや技術を学びますが、体幹教育では表現の根底にある心の持ちようを学ぶ。それが大きな違いだと思っています。

中村 僕は、体幹教育は基礎教養だけど、それだけではない面もある気がしていて。

宮永 というと?

中村 「体幹トレーニング」が流行っていましたよね。運動をはじめたばかりの人から、サッカーの長友選手みたいなスポーツ選手までやっているトレーニングですけど、あれはコンディションのバランスを取るための訓練なんです。「体幹教育」で言うところの“バランス”は、つくることと考えることのバランスではないかと思います。

中野 なるほど。今までの専門教育では、“つくること”だけが先走ってしまって、より豊かに、開放的に“発想すること”が足りていなかったのかも。

中村 だから、体幹教育ではしっかり知識を蓄え、考え方を学ぶ。その一方で、メチエ基礎は「専門的なことを学びたい」という希望にも応えながら、しっかりとテクニックをつけていく場なのかなと思います。

吉岡 私は、体幹教育ってメチエ基礎への橋渡しを上手につくる場だと思うんです。私が高校で写真をやっていたとき、最初に学んだのはいかに暗室作業をうまくできるか、いかに美しくプリントできるかでした。そのせいで、写真表現の本当のおもしろさを感じられずに進んでしまった。

中村 入ってすぐに技術を高めるだけでは、確かにモチベーションは上がりづらいですね。

吉岡 その後、留学先のアメリカの大学で写真の授業を取ったのですが、初回の授業はカメラさえ使わないフォトグラム(印画紙の上に直接物を置くなどして感光、イメージを生成する技法)で。「それどうやったの?」と言い合いながら実験できる場があったんです。これだ!と思いましたね。

宮永 そういった授業ならみんなに開けていますね。カメラに詳しいかどうかはあまり関係ない。

吉岡 だから、体幹教育で興味やモチベーションを高めて、ものをつくることのおもしろさを掴んでから、細かい技術を習得していく流れは、道筋としてわかりやすいんです。
 
(ここで、座談会の場に偶然、佐藤光儀先生が通りかかる)
 
佐藤 あれ、こんにちは。みんな揃って、なんの話を?

吉岡 芸術学部の新しいカリキュラムについて話しているんですが、佐藤先生もぜひ!

—いま、体幹教育とメチエ教育の違いについて、先生方からお話を伺っていたところです。これまで28年、精華大学で教えてこられた佐藤先生はどのように考えていらっしゃいますか?
日本画専攻 教員の佐藤光儀先生。
佐藤光儀(芸術学部 教員/日本画家)
京都市立芸術大学大学院修了。自然材料を元にした日本画独特の表現を研究している。現在、創画会会友。
教員プロフィール:http://www.kyoto-seika.ac.jp/edu/faculty/sato-mitsuyoshi/

佐藤 そうだなあ。これまでは入学後からすぐに専門の分野だけを教えていたんですが、ややもすれば考え方の壁をつくってしまう可能性があるんですよね。

中野 確かに、専門のことに集中して取り組むあまり、自分の専攻の領域から出ずに卒業してしまう可能性がありますね。

佐藤 メチエ基礎は、それぞれの領域の基礎的なスキル、専門性を学ぶ大切な場なんだけど、それを選択できる形にすることで、専門性の垣根をある程度崩すことができると思っていて。さらに体幹教育で多様な考え方や感じ方を学び、ひとつの専門領域だけで学ぶよりも幅広い視野をもつことができると考えています。

Q. どうして今、「基礎」なの?

—社会で即戦力となる人材、技術力をもった人材が求められる現代において、基礎教育を重視するのはなぜでしょう?

佐藤 芸術大学で学ぶということは、作家になることがひとつの理想だと思いますが、現実的な話をすると、作家になるのは全体の10%前後。つまり約90%の人たちは、ほかのことを生業にしていく。だから、いろんな状況に対応できることが絶対必要です。そういう意味で“役立つ”という面はありますね。

宮永 作家になる人であっても、これからは基礎教育が必要なんですよね。専門的な仕事が人工知能に置き換わっていくと言われているなかで、やっぱり専門性を研ぎ澄ませていくだけでは、多分やっていけない。そのとき、体幹教育で培われる多様な考え方、コミュニケーションの方法が必要になる。

中野 僕は専門性が生きる場はもちろん残ると思う。けれど、そこからこぼれていく人も大勢見てきました。まあ僕自身も、学生時代は日本画の専攻だったけど、そこにはまれなかった(笑)。それで落ち込んでアート自体が嫌いになり、芸大や美大で学んだことを否定してしまう人も少なからずいるんですよ。それは、あまりにもったいないし、全然望ましくない。想像し創造することの根っこがしっかりしていれば、その人自身の活かし方に気づけたかもしれないですから。

吉岡 ここ数年、精華大学で教えてきて、学生がアートと社会の接続に関心が少ないと感じていました。社会とつながって、情報に触れられていれば、たとえ作家にならなくても学んだ専門的な知識や技術を活かせる場合もある。

中村 僕は、体幹教育やメチエ基礎って「隙間」を見つけるレッスンなのかなと思っていて。すでにジャンルとして分かれたもののなかで、自分がフィットするスペースを選んでいく機会ってありますよね。そのときに「こことここの間がおもしろい」という「隙間」に気づけるかどうか。

宮永 それってすごく重要!

中村 僕は精華大学の卒業生ですけど、学生の頃に、当時の先生から一番に言われた言葉は「君たちは、僕たちのことを否定しなさい」でした。先生たちが身につけているスタイルを、僕たちが追いかけても意味がない。否定と言ってももちろん授業をサボることではないですよ。先生たちがこれまでやってきたことの、代案を考えていかなきゃいけない。そうやって「隙間」を見つけていく。

中野 僕が日本画をやっていた頃は逆に、はみ出た表現をすると否定されるから、思い悩んでいた訳で。でも結局、どんな作品を作っても、褒めてくれる人もいれば、けなす人もいる。だから、それぞれが全方向的に広い射程をみて、自分にピッタリくる「隙間」をいかにチョイスしていくかの問題なんですよ。

中村 評価を気にしすぎると、そういう動きをとりづらくなってしまうしね。

中野 そう考えると大学の時期って重要ですよね。僕が大学1年生の頃を思い返してみると、技術もないし、美術業界のことも知らなかった。それでも、やりたいことが漠然とあって、下手くそながらも無鉄砲になにかやっていました。時を経た今、当時思い描いていた表現に近づいている感じもする。だからこそ1年生に接するとき、彼らが漠然と考えていること、感じていることを大切にしていかなきゃいけないなと思うんです。

Q. 早く専門的なことを学びたい、という人は?

—やっぱり専門技術を学びたくて入ってくる高校生も多いはず。「本当は早く専門的なことやりたい!」みたいな気持ちをぶつけられたり、感じたりすることはありますか?

宮永 実は、僕の学生時代にも、同じように広く創造性を引き出すようなカリキュラムがあったんですけど、僕自身が結構反発していたんですよ(笑)。その経験があるから、早く専門の授業を受けたいという学生の気持ちはよくわかります。

吉岡 そんな学生には、どう接しているんですか?

宮永 授業の最初に「思うこともあるだろうけれど、後々、自分の引き出しになってくるんだぞ」「時間差で効いてくる」と、伝えてはいますね。
大学内で木炭デッサンをする学生たち。足元には消しゴム代わりの食パン。
学生を指導する中野先生。
中野 作家には、技術力ももちろん大事ですが、柔らかく創造的な感覚や考え方も大事だと思う。鍛えれば技術は上がっていくけれど、創造の感覚は殻を閉じてしまったらおそらく伸びてこない。それを最初から開いておきましょうというのが新カリキュラムなのかなと。

吉岡 先日、学生のアンケートで「とりあえず、なんでも挑戦することが大事だと改めて実感できました」「何事も楽しんでやることが大事」と感想が出ていましたよ。

佐藤 まさにそのとおり。

中野 1年生にどこまで伝わるかと思うところもあるけど、ある先生は「時限爆弾を仕込むみたいなもんや!」と言ってました(笑)。不発もいっぱいあるけれど、ある日、何かが爆発してその人の世界を変える。僕も学生時代の体験を振り返ると、思い当たる節がたくさんあります。

吉岡 確かに何年も経ってから、40歳くらいでボーンと爆発するのもありますよね(笑)。

中野 そういう可能性をいっぱい仕込んでいきたいですね。
第1期「視覚のクリエーション」(絵画基礎)の課題のひとつ、木炭デッサン。
それぞれの作品を並べての講評会。大学で初めて木炭デッサンを経験した学生も。

Q. 新カリキュラム、今のところうまくいっているの?

—これまで何年も議論してきて、とうとう今年度から新しいカリキュラムに変わったわけですが、現場で動く先生として正直なところいかがですか?

中野 もちろん新しい試みなので、僕ら教員も新入生も「どうなるんだろう」と、ワクワクと不安が入り混じっていたんです。はじまってみると、各クラスごとに工夫してそれぞれ違う取り組みをしているのがおもしろいですね。

宮永 それでいて、教員や学生同士の横のつながりができつつあるのは、良い流れだと思います。たとえば、全クラス合同で「体幹サンドイッチ」をやってみたり……。

吉岡 「古壁の風合いの表現」の課題の延長で、なかば即興的に、平面構成を学ぶためのワークショップとして行ったんですよね。

—その「体幹サンドイッチ」とは?

中野 食パンに、プチトマトやレタス、バター、マヨネーズ、ジャム……きざみのり、納豆まで画材に(?)使って、ミミに囲まれた四角の枠の中で、画面を構成していくんですよ。

—見た目重視のオリジナルのサンドイッチですね。

宮永
 みんなで食べて感想を言い合うから、味も大事(笑)。

中村 木炭デッサンで、食パンの柔らかい部分を消しゴムとして使うので、学校にパンがたくさんあったんですよ。デッサン後に余ったパンを教員が食べたりしていて(笑)。

中野 スケッチ、木炭デッサン、古壁と続いた「視覚のクリエーション」の締めが「サンドイッチ」というのは、展開としておもしろいですよね。
「体幹サンドイッチ」の課題で生まれた作品。食パンが、木炭デッサンの消しゴムから作品の支持体に。
宮永 「体幹サンドイッチ」のように、全クラス合同で情報交換できる場が各期ごとにあるといいですね。

吉岡 そこで「そっちのクラスはどんな授業だった?」「あれ楽しかった!」とか、学生同士のさらなるつながりが生まれてくるのでしょうね。

中野 今後、いろんな専攻に進んでいく人たちと隣り合って、ただ仲良しになるだけでも、その効果は将来、絶対に現れてくると思います。たとえば、「他専攻の宮永くんはこんなことをやってる。じゃあ俺はこの武器でこうしよう!」とか、そういう考え方や闘争心みたいなものも生まれてくるだろうし。

宮永 たしかに。作家活動を行うにあたって、自分が扱うメディアを考えることは必須。それに加えて、ジャンル横断的な関係があれば「自分が扱っている素材が何なのか」「でもあの人は同じ素材で別の使い方をしている」とか、気づきや考える幅が広がるんじゃないかな。

中村 そうそう。たとえば、陶芸が専門なら「ろくろが使えます」をゴールにしてしまうかもしれないけど、創作活動を続けていくなら「ろくろでこんなことができます!」と言える技術や知見を開発していくことが重要なんですよね。

中野 僕自身、それをすごく実感しています。普段、パラモデルという2人組で作品を発表しているんですが、僕の学生時代の専攻は日本画、相方の専攻はメディアアート系。大学を出てからこれまでつくってきた作品は、そのどちらとも言えない、お互いの経験や発想が奇妙にミックスされたものなんです。

吉岡 横断的な思考は重要ですが、1年生がメチエ基礎でさまざまな技術を選択できるシステムに、不安はありませんか?たとえば、日本画を突き詰めている人たちのなかに、いろんな専門科目を経験してきた人が入ってきたとき、ついていけるのかどうか。

佐藤 これまでのカリキュラムでも、3年生で陶芸から日本画に編入してきた学生がいますよ。

宮永 そういう学生って、1・2年次に学ぶ基礎技術が足りてないこともあるけど、独学で基礎を勉強したり、興味のある専門領域の研究室に作品を見せに来たりと熱意があるし、むしろ頑張って良い作品をつくっています。

佐藤 メチエ基礎でいろんな専門科目を経験した学生は、その分の知識を蓄積させているんですよね。日本画とは違った科目を学んだというバックグラウンドが生かせるカリキュラムだと思います。だから、これまでの学生より作品のバリエーションが広がっていくんじゃないかと、とても期待しています。
芸術学部の新カリキュラムの特徴は「2年進級時に希望の専攻を選べる」ことです。入学して1年間は、専門性に閉じるのではなく、領域を横断的に学ぶ教育機会を重視。ものの見方を多角的にとらえる機会を増やし、自分では気づかない適性や可能性の発見と、間違いのない専門選びができます。
詳しくは「メチエ基礎」「体幹教育」に関する下記のページをご確認ください。

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