2025年3月20日(木)、「2024年度卒業式・学位授与式」を挙行しました。
今年度の卒業・修了生は、学部卒業生が856名、大学院修了生が60名です。
卒業・修了生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
今年度の卒業・修了生は、学部卒業生が856名、大学院修了生が60名です。
卒業・修了生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。


澤田昌人学長は「ご卒業・ご修了おめでとうございます。皆さんは何年間かを過ごしたこの京都精華大学を離れ、日本やほかの国々、地域で自分の人生という旅に出かけようとしておられます。いかなる失敗に陥っても、いかなる成功にめぐりあっても、それが皆さんの精神、すなわち内部世界を豊かにするチャンスであることを忘れないでください。一途な想いを込めて、制作に取り組んだり、論文執筆に取り組んだりした、その心を大切にしつつ、皆さんが本当の旅をつづけられることを祈っています。」と、卒業生へ激励の言葉を述べました。
※澤田昌人学長の学長挨拶全文は、本ページ末でご覧いただけます。
※澤田昌人学長の学長挨拶全文は、本ページ末でご覧いただけます。
また、同窓会「木野会」会長の永井 利之さんより祝辞、卒業生代表でデザイン学部グラフィックデザインコース 西池 陽麻さん、マンガ研究科 イップ チチェンさんより「卒業生の言葉」が述べられました。




また、今年度退職される教員に同窓会「木野会」より花束が贈呈されました。
今年度退職される先生方は、国際文化学部の末次 智先生、山名 伸生先生、人間環境デザインプログラムのウスビ サコ先生、マンガ学部の遊佐 かずしげ先生です。先生方、長いあいだのご指導、ありがとうございました。
今年度退職される先生方は、国際文化学部の末次 智先生、山名 伸生先生、人間環境デザインプログラムのウスビ サコ先生、マンガ学部の遊佐 かずしげ先生です。先生方、長いあいだのご指導、ありがとうございました。
あわせて開催された「京都精華大学展2025表彰式」では、卒業・修了作品、論文の学長賞、理事長賞、学長奨励賞、木野会賞受賞者の表彰が行われました。
学長賞受賞者は、芸術学部 北村 友海さん、マンガ学部 女屋 玲雄さん、国際文化学部 雑喉 萌さん、理事長賞にデザイン学部 竹下 愛華さん、メディア表現学部 内田 柊さん、川崎 蒼生さん、西本 丈之助さん、吉岡 航汰さん、芸術研究科 三木 梨々花さんが選出。また、学長奨励賞にデザイン学部 ジョン ガフンさん、和田 純さん、マンガ研究科 イップ チチェンさんが選出されました。
木野会賞には、国際文化学部 塩畑 奈緒さん、メディア表現学部 髙井 勇寿さん、芸術学部 セン カさん、デザイン学部 松尾 晃宏さん、マンガ学部 鈴木 皓平さんがそれぞれ選出され、表彰されました。
式典後は各学科・コースに分かれ、一人ひとりへの学位記の授与と、謝恩会が行われました。
4年間を過ごした教室で、教員や同級生と思い出を語り合う姿が見られました。
卒業生のみなさん、受賞者のみなさん、改めて本日はおめでとうございます。
これからのみなさんのご健勝とご多幸を、教職員一同心よりお祈りしております。
4年間を過ごした教室で、教員や同級生と思い出を語り合う姿が見られました。
卒業生のみなさん、受賞者のみなさん、改めて本日はおめでとうございます。
これからのみなさんのご健勝とご多幸を、教職員一同心よりお祈りしております。

「2024年度卒業式・学位授与式」 澤田 昌人学長式辞 全文

皆さん、ご卒業・ご修了おめでとうございます。ご家族の皆様におかれましても、お子様のご卒業・ご修了を教職員を代表して心よりお喜び申し上げます。
今年は、2021年度に設置された国際文化学部、メディア表現学部、人間環境デザインプログラムから最初の卒業生が出る記念すべき年であります。また今年の卒業生はコロナ禍の影響を受けながらも、そこから社会が徐々に平常の状態に移っていった時期を過ごすという貴重な経験をしました。貴重な経験どころか災難であった、と思っている卒業生もおられるかも知れません。しかし、コロナ禍におけるさまざまな新しい現象、あたらしい事件から感じたこと、学んだこと、知ったことは、今後起こるかもしれないパンデミックにおいてかならず役に立つはずだと思います。

さて皆さんは何年間かを過ごしたこの京都精華大学を離れ、日本やほかの国々、地域で自分の人生という旅に出かけようとしておられます。
皆さんのほとんどがまだ生まれていない30年以上前、ソビエト連邦という巨大な国がありました。その国にタルコフスキーという映画監督がいました。「僕の村は戦場だった」「鏡」「ノスタルジア」などの名作を残しています。彼はこんなことを言っています。「ただ一つの旅だけが可能である。内部世界へ向けて行われる旅だけが。」どういう意味なのでしょうか?旅とは、異なった場所で、異なった風景や人間に出会うという外面的で客観的な経験を意味するのではなかったのでしょうか?
皆さんのほとんどがまだ生まれていない30年以上前、ソビエト連邦という巨大な国がありました。その国にタルコフスキーという映画監督がいました。「僕の村は戦場だった」「鏡」「ノスタルジア」などの名作を残しています。彼はこんなことを言っています。「ただ一つの旅だけが可能である。内部世界へ向けて行われる旅だけが。」どういう意味なのでしょうか?旅とは、異なった場所で、異なった風景や人間に出会うという外面的で客観的な経験を意味するのではなかったのでしょうか?

私は不精者で外出が好きではありません。そんな私でも自分の研究目的でアフリカ大陸の熱帯林まで旅をしてそこで何ヶ月も暮らしたことがあり、通算では何年も滞在したことになります。アフリカの熱帯林には、欧米や日本から多くの旅人がやってきます。現地語を話せない旅人がほとんどですが、英語やフランス語を話せるのが普通です。密林の中の道を泥まみれで歩いたり、四輪駆動の巨大なトラックに乗ったりしてやってきます。
面白いというかひどい話を研究者仲間から聞いたことがあります。現地語も英語もフランス語も話せないある旅行者は目的地の地名を大声で連呼するそうです。そうするとそれを聞きつけた親切な現地の人がその目的地へ行くはずのバスのところに連れて行ってくれるそうです。バスの運転手がその地名を言うと、その旅行者は「イエス、イエス」と繰り返すそうです。そこでそのバスに乗せてもらいます。目的地に着くと運転手が知らせてくれるのでそこで降ります。運転手はおそらく「ここまでいくらです」みたいなことを言って料金を請求してくるのでしょう。しかしその旅行者は今度は「ノー、ノー、ノー」と連呼するそうです。他に何か言われても「ノー」ばかり言っていると、そのうち相手はお金をとるのを諦めて立ち去ってくれるそうです。それでお金を使わない旅ができるというわけです。酷い話です。
私はこの話を聞いた時、「もったいない」と思いました。お金を払っていないわけですからお金がもったいないわけではありません。そうやって旅をして、現地の人びとと信頼や友情を築くわけでもなく、人びとと語り合うわけでもなく、目的地から目的地へ単にお金をかけずに動いていくことをもったいないと思ったのです。それは現地で経験できたはずの、その人の精神や思想という内部世界を広げる経験をもったいなくも放棄してしまっているのです。それは「旅」というよりも、「移動」と呼ぶべきものでしょう。
面白いというかひどい話を研究者仲間から聞いたことがあります。現地語も英語もフランス語も話せないある旅行者は目的地の地名を大声で連呼するそうです。そうするとそれを聞きつけた親切な現地の人がその目的地へ行くはずのバスのところに連れて行ってくれるそうです。バスの運転手がその地名を言うと、その旅行者は「イエス、イエス」と繰り返すそうです。そこでそのバスに乗せてもらいます。目的地に着くと運転手が知らせてくれるのでそこで降ります。運転手はおそらく「ここまでいくらです」みたいなことを言って料金を請求してくるのでしょう。しかしその旅行者は今度は「ノー、ノー、ノー」と連呼するそうです。他に何か言われても「ノー」ばかり言っていると、そのうち相手はお金をとるのを諦めて立ち去ってくれるそうです。それでお金を使わない旅ができるというわけです。酷い話です。
私はこの話を聞いた時、「もったいない」と思いました。お金を払っていないわけですからお金がもったいないわけではありません。そうやって旅をして、現地の人びとと信頼や友情を築くわけでもなく、人びとと語り合うわけでもなく、目的地から目的地へ単にお金をかけずに動いていくことをもったいないと思ったのです。それは現地で経験できたはずの、その人の精神や思想という内部世界を広げる経験をもったいなくも放棄してしまっているのです。それは「旅」というよりも、「移動」と呼ぶべきものでしょう。

私は学生の展覧会を見にいくことがあります。ある木彫りの作品のキャプションにこのようなことが書いてありました。「私は木を掘って形を削り出している時に、自分の精神を削り出しているように感じる。」私は深く共感しました。木から作品を削り出すという行為が、精神を変え、成長させるようでなければ、それは「制作」とは言えないのではないでしょうか?卒業制作や卒業論文の執筆を通じて、自分の体や頭脳だけでなく心を、精神を使うことの重要性を皆さんは感じ取られたことと思います。制作活動の本質とは、制作者の内面、精神の内部での経験を意味するのだと思います。
さきほど、私は人生を「旅」にたとえました。「旅」の本質とは、精神的、内部世界における経験だと私は信じています。生きていく途上で数々の経験を経て、成功者となったり、お金持ちとなったりしても、その経験があなたの内部世界を広げ、あなたの精神が豊かなものとならない限り、それはもったいない時間の使い方であって、本当の「旅」とは言えない、と思います。先ほどお話しした制作と同じことです。いかなる失敗に陥っても、いかなる成功にめぐりあっても、それが皆さんの精神、すなわち内部世界を豊かにするチャンスであることを忘れないでください。一途な想いを込めて、制作に取り組んだり、論文執筆に取り組んだりした、その心を大切にしつつ、皆さんが本当の旅をつづけられることを祈って、私からの花向けの言葉といたします。
さきほど、私は人生を「旅」にたとえました。「旅」の本質とは、精神的、内部世界における経験だと私は信じています。生きていく途上で数々の経験を経て、成功者となったり、お金持ちとなったりしても、その経験があなたの内部世界を広げ、あなたの精神が豊かなものとならない限り、それはもったいない時間の使い方であって、本当の「旅」とは言えない、と思います。先ほどお話しした制作と同じことです。いかなる失敗に陥っても、いかなる成功にめぐりあっても、それが皆さんの精神、すなわち内部世界を豊かにするチャンスであることを忘れないでください。一途な想いを込めて、制作に取り組んだり、論文執筆に取り組んだりした、その心を大切にしつつ、皆さんが本当の旅をつづけられることを祈って、私からの花向けの言葉といたします。