
白井 聡
- 専門分野
- 社会思想 / 政治学
SOCIETY
人種や思想、年代、性、身体的機能などの多様な人びとがどのように共生していくことができるのか、その意義と方法を考えます。
藝術と宗教、人類学などさまざまな切り口から現代の日本の事例を中心に、欧米やアジアの国々も参照しながら藝術と社会の関わりについて考えます。
FIRST
1年次は大学で学ぶための基礎を身につける期間です。人文学の学びに不可欠な「言葉」の力を身につけるために、少人数のクラスに分かれて、文章を読み、話し、書く力をやしないます。また、歴史や文学、社会、国際、日本文化の多様な切り口から物事を考える経験を積み、自由な視点を育てます。
SECOND
並行して長期フィールドワークに向けて教員の指導のもと計画を立てます。後期からは半年間、キャンパスを離れて現地調査を行います。この経験で得られるのは、自ら考え、実践し、他者に伝える力。将来どのような道に進んでも生かせる、たしかな力と自信です。
THIRD
長期フィールドワークの調査報告をまとめると同時に、各コースの専門科目で深い知識と研究方法を身につけます。また、少人数のゼミに所属し、文献の読解やテーマに関する調査の発表やディスカッションに取り組みます。対話を通じて多様な意見に触れながら、思考を深めていきます。
FOURTH
4年間の学びの集大成となる、卒業論文を執筆します。書き上げた卒業論文は、2月に行う卒業制作・論文発表展で全員が展示します。学内外の人から客観的な意見をもらうことができる貴重な機会です。
京都×観光
京都で問題化する「オーバーツーリズム」について、公共交通機関とタクシー利用のそれぞれで実態調査をし、持続可能な観光地産業について考える。
沖縄×教育
全国で最も不登校者の割合が高い沖縄。支援の取り組みや、教育のあり方を現地の行政や教育関係者へのインタビューを通じて分析する。
京都×ビジネス
100年以上続く老舗企業だけでなく、いわゆるベンチャー企業にも目を向け、企業と社会との関わりについて調査します。
「相模原障害者施設殺傷事件」 に関する言説の分析
2016 年7 月26 日、神奈川県相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」において大規模な殺傷事件が起きた。入所者19 名が殺害され、施設職員を含む26 名が重軽症を負ったこの事件は、犯人の植松聖が施設の元職員であったこと、「障害者は不幸を生むだけ」という発言をしたことなどから大きな注目を集めた。植松の上記の発言や犯行へ賛同するインターネット上の声は、障害者の存在に肯定的な立場をとる人々によって「優生思想」や「障害者差別」という言葉をあてがわれ批判されてきた。しかし、それらは思想や差別など本質的で解決の目処のたたないものとしてこの事件を捉えることにもつながる。よって本稿では「優生思想」や「障害者差別」など、この事件について“語られた” ことではなく、障害者の存在に肯定的なもの・否定的なものも含め、それらが“なぜ語られたのか” について注目する。そのことによって植松やそれに共感する者のみを批判の対象とするのではなく、私たちが無意識のうちに前提としている構造の問題としてこの事件を捉え直す。
「自分がいなくなる感覚」を考える —多様性と向き合うために
本論文は、私が経験した「自分がいなくなる感覚」という辛さや苦しさを起点に、ジュディス・バトラーの諸理論を整理することで、「私がここに存在していること」がいかなる方法で実現可能か、ひとつの視座を示すことを目的にしている。バトラーは,ジェンダーのパフォーマティヴな性質——言語を伴う行為の反覆によって徐々に形成されるという性質——を論じることを通し、ジェンダーの虚構性をあばき、攪乱可能なものとしての「性」を提示した。ジェンダーを筆頭に、アイデンティティが構築される過程では様々な「時間性」が作用している。その大部分が「規範」となり、私たちを説明可能な存在にするのだ。私たちがみな「規範」の中でのみ認識可能な存在であるとすれば、「規範」という焦点を言語によって「脱中心化」することが重要となるのではないだろうか。「不確実性」を受容し、多様な語りの「型」が生まれていくときにこ、私たちは精彩を放つのである.